はじめに
我が家は、不妊治療の末に双子を授かりました。
不妊治療にかかった期間は、約7年間。
通ったクリニックは5か所。
そして、待望の妊娠・出産は39歳で妊娠、40歳での高齢出産でした。
今、目の前には毎日元気に動き回る双子がいて、あの長い不妊治療の日々が少しずつ遠い記憶になりつつあります。
でも、7年間という期間は、私にとって簡単に「大変だった」の一言では終わらせられない時間でした。
何度も心が折れそうになり、治療をお休みした期間もありました。
当時は、前が見えない暗闇の中にいるように感じていたこともありました。
今回は、そんな我が家の不妊治療について、詳しい治療内容というよりも、まずは7年間を振り返る形で書いてみたいと思います。
不妊治療のはじまり
不妊治療を始めたばかりの頃は、30代前半ということもあり、今思えば少し変な自信がありました。
検査で気になることがあっても、
「まぁ、なんとかなるでしょ」
そんなふうに思っていました。
お互いに大きな異常が見つかったわけでもありませんでした。
だから、クリニックに通えばいつか妊娠できる。
そんなふうに、どこかで当たり前のように思っていたのかもしれません。
でも、治療をステップアップしていく中で、少しずつ現実はそう簡単ではないと感じるようになりました。
人工授精ではなかなかうまくいかず、ステップアップして体外受精へ。
それでも、なかなかうまくいきませんでした。
待っても待っても、毎月生理はやってくる。
「また今月もダメだった」
その繰り返しでした。
繰り返す「また1から」
不妊治療をしていてつらかったことのひとつが、「次につながっているようで、また振り出しに戻る」という感覚でした。
採卵をして、いい卵が取れた。
受精した。
さらに凍結までできた。
ひとつの周期の中では、少しずつ前に進んでいるように感じることもありました。
でも、移植がうまくいかなければ、また次の周期。
前回うまくいかなかったからといって、次は必ずもっと良い結果になるわけでもありません。
また1から。
奇跡的に胚盤胞まで育って移植できたとしても、生理が来てしまえば、また最初からです。
この繰り返しは、思っていた以上に心にも身体にも負担がありました。
そもそも私は胚盤胞になりにくく、7年間の治療で採卵は15回。
移植は、新鮮胚移植も含めて6回行いました。
そして、一度も着床したことがありませんでした。
どんどん時間だけが過ぎていくのに、1年間でチャンスは12回しかない。
そう思うと、焦る気持ちしかありませんでした。
振り返ると、本当に身体も心もボロボロだったと思います。
7年間の治療と転院
7年間の間に、5か所の婦人科・不妊治療のクリニックに通いました。
最初は近所のクリニックから始まり、その後は不妊治療専門のクリニックへ。
転院するたびに、
「今度こそ何か変わるかもしれない」
そんな気持ちもありました。
一方で、新しいクリニックに行くということは、また一から自分のことを説明して、検査をして、治療方針を考えていくことでもあります。
「このままここで続けていいのかな」
「転院した方がいいのかな」
そんなことを何度も考えました。
いわゆる「最後の砦」と言われるような、有名なクリニックにも通いました。
それでも、なかなか結果にはつながりませんでした。
クリニックごとの治療については、それぞれに思うことや感じたことがあります。
もし今後書くことがあれば、そのあたりは別の記事で詳しくまとめたいと思っています。
最後のクリニック
最終的に最後のクリニックを選んだきっかけは、以前読んでいた、あるブログでした。
40代で不妊治療をしていた方が、以前そこで妊娠したという記事をふと思い出したのです。
最後のクリニックに転院する前、身も心もしんどくて、それまでで一番長い休養期間を設けていました。
「最後にもう一度だけ、ここに行ってみようかな。ここでだめなら諦めよう」
そんな気持ちだったと思います。
そして通い始めたそのクリニックは、治療方針やクリニックの雰囲気も含めて、なぜか自分に合っていました。
それまでの治療を否定するわけではありません。
でも、私自身に合った方法を提案してもらい、初めて「自分のための治療をしている」と感じることができました。
そして、最後の移植。
そこで、ようやく双子を授かることができました。
治療中の気持ち
7年間の間、本当にいろいろな感情がありました。
何度も心が壊れそうになりました。
夫婦で意見がぶつかって、喧嘩をしたこともあります。
治療が仕事に影響したこともありました。
周りの子どもがいる人に対して、自分でも説明できないような感情を持ってしまい、そんな自分に自己嫌悪したこともあります。
「もう夫婦ふたりの人生でもいいのかな」
そう思ったことも、一度や二度ではありません。
もう諦めた方がいいのではないかと思い、何度も挫折しそうになりました。
「諦めた頃にやってくるよ」
そんな言葉を信じて、治療をお休みしたこともありました。
でも、何も変わらなくて。
諦めたはずなのに、やっぱり子どもができないことが悔しくて仕方なかった。
そんな時期もありました。
それくらい、不妊治療は私にとって過酷なものでした。
今振り返っても、あの頃の自分をぎゅっと抱きしめて、慰めてあげたくなります。
「本当によく頑張ったね」と言ってあげたいです。
「明けない夜はない」
双子を授かった年のことです。
たまたま通りかかった神社で、おみくじを引きました。
そこには、
「明けない夜はない」
と書かれていました。
その言葉を見たとき、長くて苦しかった不妊治療のことを思いました。
そして、その年。
本当に、7年間続いた治療が終わりました。
双子を授かることができました。
今思い返しても、あのときのことを思うと泣きそうになります。
いえ、むしろこの記事を書きながら、今も泣いています。
ずっと終わらないように感じていた時間にも、終わりがありました。
7年間を振り返って
不妊治療をしていた7年間。
いろいろな感情がありました。
もっと若いうちに妊娠していたら、体力的に子育てがもう少し楽だったのかな。
30代前半で子どもを産んでいたら、また違う人生だったのかな。
若いままでいられたかな。
そんなことを思う日もあります。
でも、今目の前にいる双子に会えたのは、この7年間と、これまでのすべての経緯があったからこそだと思っています。
もし違うタイミングで妊娠していたら、今ここにいるこの双子には会えていなかったかもしれません。
そう考えると、この経験も、このタイミングも、私にとって大切なものだったのだと、今は心から思えています。
もちろん、あの7年間が楽しかったわけではありません。
できることなら、あんなにつらい思いはしたくなかった。
でも、それでも。
あの時間があったからこそ、今目の前にいるふたりに出会えた。
そう思うと、長かった7年間にも意味があったのだと思えるようになりました。
おわりに
不妊治療は、本当に大変なものでした。
努力をしたからといって、必ず結果につながるわけではありません。
頑張れば頑張るほど、うまくいかないことに苦しくなることもあります。
だからこそ、不妊治療を頑張っている方に「頑張ればきっと大丈夫」と簡単には言えません。
ただ、私自身は7年間、何度も諦めそうになりながら治療を続け、最後に双子を授かることができました。
もし今、先が見えなくて苦しい思いをしている方がいたら。
我が家のこの7年間の話が、たったひとりにでも届いたら嬉しいです。
あのとき、おみくじに書かれていた言葉。
「明けない夜はない」
ずっと暗闇の中にいるように感じていた私にも、夜が明ける日が来ました。
我が家の不妊治療の話が、誰かにとってほんの少しでも勇気や希望につながりますように。
